夫婦の実例
45歳の誕生日の贈りもの ― 涙と希望でつづられた、私たちの妊娠への道のり
このページを開いてくださったあなたも、もしかすると私たちと同じように、
「年齢への不安」や「募る焦り」、そして「それでも諦めきれない想い」を抱えていらっしゃるのかもしれません。
私は林 悦(リン・ユエ)と申します。
今日は、一人の女性として、そして母になるまでの道を歩んだ者として、私たち夫婦の物語をお伝えします。
これは決して順風満帆な成功談ではありません。何度も涙を流し、それでも希望を手放さなかった、静かで長い旅の記録です。
人生の準備は整っても、命だけは思うようにならなかった
夫の王磊と私は、学生時代から共に歩み、仕事に打ち込み続けてきました。
40歳を迎えた頃、「そろそろ子どもを」と考え始めた私たちに返ってきたのは、厳しい現実でした。
AMH値の低下、卵子の質の問題、薄い子宮内膜。
医師の口から語られる医学用語は、私たちの希望を静かに削っていきました。
3年間で2回の採卵、3回の移植。
期待と不安の間で揺れ続けながら、結果は「着床せず」。
検査結果を見るたびに、心が少しずつ折れていくのを感じていました。
絶望の中で出会った、小さな光
諦めかけていた頃、同じように長い不妊治療を経験した友人が、海外での体外受精により出産したことを話してくれました。
正直、最初は不安ばかりでした。
「海外で治療なんて本当に大丈夫なのか」
「言葉の壁は?」
「費用は?」
それでも、ただ立ち止まるより、最後の希望に手を伸ばしたい。そう思い、私たちは麗舍を通してアメリカでの治療を決意しました。
初めてのオンライン相談で、担当カウンセラーの落ち着いた声と丁寧な説明に触れ、「ここなら信じられる」と初めて心から思えたのです。
海を越えた先で、私たちは再び「希望」を知った
現地では、一つひとつの工程がとても丁寧で、医療だけでなく心への配慮も感じられました。
採卵の結果、育ったのは2つの胚盤胞。そのうち1つがPGS検査を通過したと聞いたとき、私は言葉を失い、ただ涙が溢れました。
「健康な胚です。移植が可能です」
その言葉は、これまでのすべての苦しみが報われた瞬間でした。
移植後、超音波画面に映った小さな光。
医師が「ここに赤ちゃんがいますよ」と優しく指さしたあの瞬間、
私は静かに胸の奥で「ありがとう」と何度もつぶやいていました。
45歳の誕生日、命という奇跡を抱いて
昨年、45歳の誕生日に、私は人生で一番大きな贈り物を受け取りました。
娘の暖暖(ぬくぬくとした存在)です。
この道のりで私たちが得たのは、単なる医療技術ではありません。
「理解してくれる人がいる安心感」
「科学と誠実さに支えられる信頼」
それこそが、私たちを前へと導いてくれました。
同じ想いを抱えるあなたへ
もし今、この文章を読みながら不安を抱えているなら、どうか知ってください。
あなたは一人ではありません。
私たちは、自らの経験を通して、同じ道を歩む方々にそっと寄り添える存在でありたいと願っています。
小さな希望でも、どうか消さないでください。
その先に、きっと新しい光が待っています。